今日は、海の日。
海を眺めていると、時間を忘れてしまうことがある。
波の動きを追っているようで、実際には何かを見ているわけでもない。
ただ、水平線の向こうへ視線を預けている。
以前、父母ヶ浜を訪れた時もそうだった。
遠浅の浜辺に立ち、空を映した水面を眺めていると、気持ちが穏やかになり、心が洗われるような感覚があった。
日常では、手元を見る時間が多い。
図面を見る。
本を読む。
スマートフォンを見る。
気がつけば、視線はいつも近いところに集まっている。
だからこそ、ふと遠くを見た時に、身体も心も少し緩むのかもしれない。
住宅の窓も、光や風を取り入れるだけのものではないと思っている。
庭の木々を介して空へ視線が抜ける窓。
建物の間から、遠くの山が見える窓。
水面や田園の広がりを、静かに受け止める窓。
「天城台の家」では、高台の敷地から東に広がる溜池へと視線が抜けていく。
室内から庭へ、庭から水面へ、その先の風景へと、視線が幾つもの領域を越えていく。
大切なのは、ただ大きな窓をつくることではない。
窓の先に何があり、そこまでにどのような距離があるのか。
その距離を丁寧に整えることで、実際の広さを超えた奥行きが生まれる。
住まいの中に、遠くを見ることのできる場所がある。
それは、慌ただしい日常からほんの少し離れ、心を解放してくれる余白になるのだと思う。
藤原昌彦
こんにちは。
いよいよ梅雨が明け、暑い夏がやってきましたね。
熱中症対策を対策をしっかり行い、世羅の家も完成に向け工事を行ってまいります!
さて、世羅の家では壁と天井の仕上げ工事に入りました。
仕上げはフェザーフィールと呼ばれる
大理石粉と天然由来の接着成分を主原料とした塗仕上げになります。
その専用の下地となるクロス貼を行いました。
クロスを平らに仕上げるために、パテ処理を行います。
プラスターボードの継ぎ目やビス頭の溝にパテ材を詰めることで平らに仕上げていきます。
この下地のクロスの上からフェザーフィールの塗り工事を行っていきます。
Staff.K
今朝、今年初めてセミの声を聞きました。
梅雨が明け、本格的な夏の始まりです。
カレンダーを見る前に、耳が季節の変化を教えてくれる。
そんな瞬間が私は好きです。
住まいは、こうした季節の移ろいを感じられる場所であってほしいと思っています。
朝、窓を開けると聞こえてくるセミの声。
庭の木々が風に揺れる音。
夕方になると少しだけ涼しくなる空気。
冷暖房の効いた快適な室内も大切ですが、それだけでは季節は感じられません。
窓を開けたくなること。
庭に目を向けたくなること。
ふと耳を澄ませたくなること。
そんな小さなきっかけが、暮らしを豊かにしてくれるのだと思います。
建築は、ただ暑さや寒さを防ぐための器ではありません。
四季の変化を受け止め、人の感覚を少しだけ豊かにしてくれる場所でもある。
今年最初のセミの声を聞きながら、そんなことを考えた朝でした。
藤原昌彦
こんにちは。
世羅の家では、大工工事が終わり、内装の仕上げ工事に入りました。
まずはタイル工事からです。
タイルを貼りつけ、タイルの色に合った目地材を施工していきます。
↑キッチンのシンク側カウンター部分
↑キッチンのコンロ部分
↑洗面カウンター部分
次は、壁と天井の仕上げ工事を行います。
Staff.K
私は北欧家具が好きです。
アトリエにもいくつかありますが、中でもお気に入りはCH24、通称Yチェアです。
もちろん、それだけではありません。
ハンス・J・ウェグナーをはじめ、ボーエ・モーエンセン、フィン・ユール、アルネ・ヤコブセンなど、多くのデザイナーが、時代を超えて愛される家具を生み出してきました。
私が北欧家具に惹かれるのは、デザインの美しさだけではありません。
木という素材を知り尽くした使い方。
細部まで丁寧につくられた加工技術。
そして何より、何十年経っても古さを感じさせない普遍性があります。
使い込むほどに木肌に艶が生まれ、小さな傷さえも、その家具だけの表情になっていく。
そんな姿を見ていると、「良いものは、時間とともに育つ」のだと感じます。
住宅も同じではないでしょうか。
完成した瞬間が一番美しいのではなく、家族の時間が積み重なり、庭の木々が育ち、床や柱に暮らしの痕跡が刻まれていく。
そうして少しずつ、その家だけの表情が生まれていくのだと思います。
だから私は、家具を単なるインテリアとしてではなく、建築の一部として考えています。
窓辺に置かれた一脚の椅子が、その家で一番好きな居場所になることもあります。
流行は、いつか過ぎていきます。
でも、本当に良いものは、時代を超えて愛され続けます。
北欧家具は、そのことを静かに教えてくれます。
私もまた、何十年先も暮らしに寄り添い、愛着を育んでいけるような、普遍性のある住まいをつくっていきたいと思っています。
藤原昌彦
こんにちは。
世羅の家では、壁や天井のプラスターボードを貼り進めています。
壁、天井のプラスターボードを貼ると部屋の雰囲気が変わってきます。
コンセントやスイッチ等の開口も同時に進めていきます。
リビング・ダイニングの天井には栂のパネルを貼りました。
窓から見える緑豊かな景色と合わさってより映えています。
大工工事は順調に進んでおり、終盤を迎えております。
大工工事後は仕上げ工事を進めていく予定です。
Staff.I
風に揺れる木々。
流れる雲。
雨粒。
鳥が飛ぶ姿。
人は本来、そうした動きに自然と目を向ける生き物なのだと思う。
昔の住まいでは、窓の向こうに庭があり、空があり、風景があった。
だから、ふとした瞬間に外へ視線が向かっていた。
その後、暮らしの中心にテレビが置かれるようになり、家族の視線は室内へ集まるようになった。
そして今、私たちの視線は、一人ひとりが手の中のスマートフォンへ向けている。
もちろん、それ自体が良い悪いという話ではない。
ただ、風に揺れる木々や、雲の流れを眺める時間は、以前より少なくなったように感じる。
だから私は、住宅にはもう一度、外へ視線が向かうきっかけをつくりたい。
庭の木が風に揺れる窓。
雨を眺められる軒先。
夕焼けに気づく小さな居場所。
そうした何気ない情景が、暮らしに静かな豊かさを取り戻してくれるのではないだろうか。
藤原昌彦
こんにちは。
世羅の家では造作家具の工事が進んでおります。
壁際には収納を設けました、沢山の服をかけられる大容量になっております。
収納の高さはあえて少し抑えて、窓を設けることで部屋が暗くならず風が通るようにしています。
廊下には造りつけの本棚。
本だけでなく飾り棚としても使え、日常的に本と触れ合うスペースとなっています。
窓の側にはベンチも造りつけ、本を読めるよう設計しています。
生活するなかで少し腰を下ろせるスペースにもなっています。
今後は造作家具の続きを進めると同時に、壁や天井のプラスターボードを貼っていきます。
Staff.I
古民家を訪れるたびに思うことがあります。
昔の人は、限られた材料だけで、驚くほど心地よい住まいをつくっていたということです。
茅葺屋根は、雨を防ぐだけではありません。
土壁も、ただ壁として存在しているわけではありません。
一つの素材に、いくつもの役割を持たせながら、風や光、湿気や熱と上手に付き合っていました。
そこには、自然に逆らうのではなく、自然を受け入れながら暮らす知恵があります。
現代の住まいは、性能も快適性も大きく向上しました。
それでも古民家に立つと、どこか懐かしく、心が落ち着くのはなぜでしょう。
もしかすると、私たちは便利さと引き換えに、暮らしの中の大切な何かを少しずつ忘れてきたのかもしれません。
だから私は、古民家をそのまま真似したいとは思いません。
建築によって忘れてしまったものを、建築で取り戻したい。
そんな住まいを、これからも考え続けたいと思っています。
藤原昌彦
家づくりの話になると、広さや部屋数に目が向きがちです。
もちろん、広さにはゆとりがあります。
けれど、広ければ豊かになるかというと、必ずしもそうではないように思います。
昔の日本の家は、障子や襖でゆるやかに仕切られていました。
今のように壁や扉で完全に区切るのではなく、光や風、人の気配がほどよく伝わる住まいでした。
隣の部屋から聞こえてくる家族の話し声。
台所から漂ってくる夕飯の匂い。
庭を渡る風。
障子越しに見える明かり。
完全に見えるわけではない。
けれど、そこに誰かがいることを感じる。
そんな距離感の中で暮らしてきたのが、日本の住まいだったように思います。
茶の湯の世界には、「一畳十間」という言葉があります。
一畳ほどの小さな空間の中にも、十間もの広がりを感じることができるという意味です。
それは、単に視覚的な広さを表しているのではなく、人との距離や自然とのつながり、心の広がりを含めた豊かさなのかもしれません。
また、気配を感じながら暮らすことは、相手を思いやることにもつながっていたように思います。
襖一枚隔てた向こうに誰かがいるから、大きな音を立てない。
障子越しに明かりが見えるから、家族の帰りに安心する。
顔を合わせなくても、互いの存在を感じながら、少し気を遣い、少し譲り合って暮らす。
そこには、完全に一人になることでもなく、いつも一緒にいることでもない、日本人らしい距離感があったように思います。
住まいの豊かさは、広さや部屋数だけで決まるものではありません。
小さな場所であっても、庭とつながり、光や風が通り、人や自然の気配を感じられる。
そんな空間には、実際の大きさを超えた豊かさがあります。
私は、住まいとは面積を競うものではなく、人と人、人と自然との関係をやさしくつなぎ、心がゆったりと広がる場所であってほしいと思っています。
小さな場所の中で、人の気配を感じ、互いを思いやりながら暮らす。
「一畳十間」という言葉には、そんな日本人の豊かさが込められているように思うのです。
藤原昌彦