藤原の日記Blog

一から、つくる

藤原の日記

徳島の上板町に、藍染めの工房「BUAISOU」を訪ねました。
徳島と大阪の建築仲間と一緒です。

黒い板張りの外壁に、瓦の屋根。
中に入ると、古い梁の下に、藍で染めた大きな布が下がっていました。
建物の前の畑では、藍が赤い花をつけています。

BUAISOUの外観。黒い板張りの外壁と瓦屋根

ここでは、目の前の畑で藍を育て、刈り取って乾かし、葉を発酵させて染料のもとをつくり、染めて、型をとって、縫うところまで、全部を自分たちの手でやっています。

いちばん長く足を止めたのは、藍を発酵させる場所の土間でした。

淡路の土を、手で締め固めてつくった床です。
土だけなので、どうしてもひびが入る。
その割れを、発酵させる前に、また土で埋める。
それも全部、手作業です。
数年に一度は、土そのものを入れ替えるそうです。

ひびの走った土の床を、しばらく黙って見ていました。

BUAISOUの、藍を発酵させる場所の土間。ひび割れた土の床

正直なところ、少し恥ずかしくなりました。

建築は、たくさんの人の手を借りてできあがります。
私は建設会社や工務店で働きながら設計を覚えてきたので、現場の手がどれほど大事かは、分かっているつもりでした。
それでも、日々の仕事に追われていると、どこかで「こういうものだから」と、決まった材料や決まったやり方に寄りかかってしまうことがある。

BUAISOUの人たちは、自分たちが良いと思えるものを、一からつくっています。
楽な方法があっても、そちらを選ばない。
その揺らがなさに、私は美しさを感じました。

もうひとつ、心に残ったことがあります。

あの土間は、できあがったら終わりではありません。
割れては埋め、何年かすれば入れ替える。
手を入れ続けることで、同じ場所が、同じ仕事を続けていけるのです。

私は設計で、その土地にもともとあった時間を引き継ぐことを大切にしてきました。
けれど、時間を引き継ぐというのは、古いものをそのまま残すことだけではないのかもしれません。
変わっていくものに、手を入れ続けること。
そうやって、時間は次へとつながっていくのだと思います。

家も同じです。
木は色を深め、土壁には小さなひびが入る。
それを直しながら住み継いでいけるような、つくりと素材を選びたい。

自分が心から良いと思える建築を、手を抜かずに、一からつくる。
そうでなければ、この先、残っていけない。
帰ってからも、そのことを何度も考えています。

藤原昌彦

木が覚えている時間

藤原の日記

十月も下旬になると、日が暮れるのがずいぶん早くなりました。
夕方、部屋の奥の暗がりがゆっくり深くなっていく中で、古い木の色だけが、ほんのりと浮かんで見えることがあります。

「田井の家Ⅱ」は、ここに暮らすご家族の、祖父母の家があった場所に建てた平屋です。
今は、ご家族三人と猫が一匹、暮らしています。

この家の和室には、前の家で使われていた木が入っています。
天井板、床柱、床板、そして枠材。

新しい木と並べると、古い材は色が少し深く、手ざわりもどこかやわらかい。
長いあいだ日に当たり、人の手に触れられ、梅雨の湿り気や冬の乾いた空気を、吸ったり吐いたりしてきた木です。

古い材を使うのは、正直に言えば手間がかかります。
寸法はそろわないし、反りもあれば傷もある。
新しい材で作ったほうが、早く、きれいに納まります。

建設会社や工務店で働きながら設計を覚えてきた私は、その大変さを、現場の側から知っているつもりです。
それでも、この和室にはこの木でなければいけない、と思いました。

田井の家Ⅱ 玄関から和室を見る

なぜそう思ったのか。
自分でもまだ説明しきれていないのですが、記憶というのは、間取りや形よりも、手が触れてきたものに残っているのではないかと思うのです。

家を建て替えれば、部屋の形も、窓の位置も変わります。
けれど、毎日のように目にしていた柱や、寝転んで見上げていた天井の木目は、身体のどこかが覚えている。
その木がそこにあるだけで、前の家の時間が、すっと今につながるような気がします。

私が設計で大切にしたいのは、その土地にもともとあった時間を、途切れさせずに引き継ぐことです。
田井の家Ⅱでは、屋根の形と庭の木の高さを、まわりの山の稜線に合わせて考えました。
古い材を使うことも、私の中では同じところから出てきた考えです。

ただ、昔をそのまま再現したいわけではありません。
新しい住まいの中に、古い木が少しだけある。
近すぎず、遠すぎない。過去と今とのあいだに、そのくらいの距離があるのが、ちょうどいいように思います。

家は建て替わっても、そこで流れてきた時間までは終わらない。
前の家の木が、新しい暮らしの中で、また少しずつ色を深めていく。
そんな時間の続きを、これからも設計していきたいと思います。

藤原昌彦

紙一枚の距離

藤原の日記

十月も半ばを過ぎると、朝の光が少しずつ低くなっていきます。

犬たちと朝の散歩に出ると、足もとに伸びる影が、夏よりもずいぶん長くなっている。
暑い暑いと言っているうちに、光のほうが先に秋になっている。
毎年、そんな気がします。

住まいの中でも、同じことが起こります。
夏のあいだ軒の先で止まっていた光が、秋になると畳の上を渡り、部屋の奥まで届くようになる。

その光を、障子が受け止めます。

午後、障子の紙がほのかに明るみ、そこに庭の木の影が映る。
風が吹けばかすかに揺れ、雲がかかれば、すっと薄れていく。

外の景色は、直接には見えていません。
それでも、風が吹いていることや、日が傾きはじめていることが、紙一枚を通して伝わってきます。

見えないのに、わかる。
うまく言葉にできないのですが、私はこの感じがとても好きです。

紙一枚ぶんの距離があることで、外の出来事は、少しやわらかく、少し遠くなって室内に届く。
そのわずかな隔たりが、かえって季節の移ろいを深く感じさせてくれるのだと思います。

私は、建築を学校で学んだわけではありません。
建設会社や工務店で働きながら、独学で設計を覚えてきました。
その分、建築を訪ね歩き、その場に身を置いて、光や素材を確かめながら学んできたように思います。

寺や古い民家の薄暗い室内に、障子越しのやわらかな光が満ちている。
その静けさの前で、私はいつも足を止めてしまいます。
明るければいい、というものではない。暗がりがあるから、光がきれいに見えるのです。

私が設計で大切にしているのは、その土地にもともと流れていた時間を引き継ぐことです。
障子越しの光もまた、この国の住まいが長い時間をかけて受け継いできたもののひとつだと感じています。

少し格好をつけた言い方になりますが、
住まいの設計は、空間の寸法だけでなく、時間の寸法を決めることでもあると思っています。

この軒の深さで、夏の日差しはどこで止まるのか。
この窓の高さで、十一月の午後の光はどこまで入るのか。
図面を前に、何度も何度も考えます。

正直なところ、思った通りの光が入るかどうかは、建ってみるまで分からないところもあります。
だからこそ、完成した家で、光が部屋の奥まで届いているのを見ると、ほっとするのです。

すべてを見せるのではなく、少しだけ隔てる。
そうすることで、外の時間が、静かに室内へ映り込んでくる。

秋の午後、障子に映る影が、ゆっくりと長くなっていく。
そんな何気ない移ろいに気づける距離を、これからも住まいの中に残していきたいと思います。

藤原昌彦

涼しさの向こう側

藤原の日記

八月も終わりに近づき、朝夕の光や虫の声には、わずかに季節の変化を感じるようになりました。

それでも、日中はまだ厳しい暑さが続いています。
エアコンなしでは過ごせない日も、しばらく続きそうです。

エアコンに使われているヒートポンプは、室内の熱を外へ移動させることで、部屋を涼しくしています。

室内を冷やす一方で、室外機からは、室内から運び出した熱に加え、機械を動かすために使ったエネルギーも、熱となって外へ放出されます。

私たちが室内で涼しさを得るほど、建物の外には熱が吐き出されている。

一つひとつは小さなことかもしれませんが、街の中で多くの建物が同じことをすれば、外部の暑さをさらに厳しくする一因となります。
暑いから冷房を使い、その冷房がまた外を暖める。そこには、現代の暮らしが抱える矛盾があります。

もちろん、この暑さのなかで、無理にエアコンを使わずに暮らすことは現実的ではありません。
大切なのは、使うか使わないかではなく、建築によって冷房への依存を少しでも減らせないかと考えることだと思います。

そのことを考えるとき、古民家に残された暮らしの知恵から学ぶことは少なくありません。

深い軒で夏の強い日差しを遮り、建具を開ければ風が通り抜ける。
縁側や土間といった内と外のあいだの空間が、外部の熱を直接室内へ入れないための緩衝帯にもなっています。

そして、古民家を形づくる土壁や木といった自然素材も、室内の温熱環境を穏やかに整える働きを持っています。

厚みのある土壁は、外から伝わる熱を蓄え、室内へ届くまでの時間を遅らせます。
昼間の強い熱がすぐに室内へ伝わらず、温度の変化を緩やかにしてくれるのです。また、湿気を吸ったり吐いたりする性質があり、蒸し暑い日本の夏において、室内の湿度変化を和らげる役割も果たします。

木もまた、熱を伝えにくく、触れたときに極端な熱さや冷たさを感じにくい素材です。
湿度を調整する性質とともに、室内の空気や人の身体に、やわらかな感覚を与えてくれます。

土や木は、機械のように室温を一定に保つものではありません。
しかし、温度や湿度の急激な変化を受け止め、室内の環境を穏やかにしてくれます。

古民家の良さは、単に古い姿や懐かしい意匠にあるのではありません。
その土地の気候を受け入れ、自然の力を借りながら、暑さや寒さと折り合ってきた建築そのものにあります。

設備の力を借りながらも、すべてを設備だけに委ねない。
土や木の働きを生かし、光や風、陰影を整えることで、必要となるエネルギーを少しでも小さくしていく。

夏の終わりに残る厳しい暑さは、古い建築に残された知恵を、これからの住まいへどのように受け継いでいくのかを、あらためて問いかけているように思います。

藤原昌彦

迎えるための設え

藤原の日記

お盆は、先祖の霊を家に迎え、
ともに時間を過ごす日本の大切な風習です。

迎え火を焚き、盆提灯を灯し、
花や季節のものを供える。

地域や家によって、その作法は少しずつ異なりますが、
そこには、目には見えない存在を敬い、
家族の記憶を受け継いでいく文化があります。

かつての日本の家には、
こうした営みを受け止める場所がありました。

仏間や床の間を整え、
襖を開けて座敷をつなぎ、
縁側から親戚や近所の人を迎える。

住まいは日常生活の器であると同時に、
季節の行事や人の集まり、
祈りや感謝を受け止める場所でもありました。

現代の住宅では、暮らし方の変化とともに、
仏間や座敷を設けることは少なくなっています。

しかし大切なのは、
かつての形をそのまま残すことではなく、
そこに込められてきた意味を受け継ぐことだと思います。

家族が集まれる場所。
花を飾り、静かに手を合わせられる場所。
亡くなった人のことを思い出し、語ることのできる時間。

お盆という風習は、
今を生きる私たちもまた、
長く続いてきた時間の中にいることを教えてくれます。

新しい住まいをつくるときにも、
便利さや新しさだけを求めるのではなく、
日本の暮らしの中で大切にされてきた文化を、
次の世代へ手渡すための設えを考えていきたいと思います。

藤原昌彦

異なるものが出会うところ

藤原の日記

私は、建築を考えるときに「あわい」という言葉を大切にしています。

「あわい」と聞くと、縁側や軒下のような、内と外の中間にある場所を思い浮かべる方も多いかもしれません。

しかし、私が考える「あわい」は、中間領域そのものではありません。

中間領域は、建築によってつくられる具体的な場所です。一方で「あわい」とは、異なるものが出会い、互いに影響し合うことで生まれる関係のことだと思っています。

風土と暮らし。
自然と人間。
過去と現在。
光と影。
人と人。
そして、居場所と居場所。

それぞれは、はっきりと分けられるものではありません。一方がもう一方へと少しずつ滲み出し、重なりながら、絶えず関係を変えています。

庭の木々が室内に影を落とし、その揺らぎから季節や風を感じる。

古い柱に残された傷から、そこで営まれてきた暮らしを想像する。

家族の姿が見えなくても、音や気配から、その存在を感じる。

こうした異なるものが出会うところに、「あわい」は生まれます。

また、一つひとつの居場所も、それだけで成り立つものではありません。

食卓と窓辺、居間と庭、家族が集う場所と一人で過ごす場所。それぞれの居場所が緩やかにつながり、互いの気配や光景を受け渡すことで、暮らしに奥行きが生まれます。

「あわい」には、決まった形がありません。

縁側や軒下があれば生まれるものでもなく、図面に線を引けばつくれるものでもありません。

建築が風土や人の暮らしを受け止め、時間とともに関係が育まれていくことで、初めて立ち現れてくるものだと思います。

建築が完成したときに、すべてが決まっているのではない。

光や風、季節の移ろい、人の営み、そして積み重なる時間。それらを受け入れる余地を残しておくことで、建築と暮らしの間に新たな関係が育っていきます。

私は建築によって何かを強く主張するのではなく、異なるものが出会い、互いの存在を感じられる関係をつくりたい。

その目には見えないつながりが、暮らしを静かに豊かにしてくれるのだと思います。

藤原昌彦

時間の重さと向き合う

藤原の日記

古民家の設計は、難しい。

何十年、時には百年以上もの時間を受け継いできた建物に、自分の設計を重ねていく。

柱や梁に残る傷。
煤によって黒くなった木。
何度も開け閉めされてきた建具。

そこには、図面には描くことのできない、人の暮らしと時間が刻まれています。

新築であれば、何もないところから自分たちの考える空間をつくることができます。

しかし古民家では、すでにそこにある歴史と向き合わなければなりません。

何を残し、何を変えるのか。
どこまで手を入れ、どこから建物に委ねるのか。

古いものを残せば良いわけでもなく、すべてを新しくすれば良いわけでもありません。

残すことが、かえって過去を飾り物にしてしまうこともあります。
新しい意匠を加えることで、建物が長い時間をかけて得てきた静けさを壊してしまうこともあります。

だからこそ、古民家の前では慎重になります。

自分の設計が、この建物に積み重なった時間よりも前に出てはいないか。
新しく加えるものが、これまでの歴史を受け止められているか。

その判断に、明確な正解はありません。

歴史と現在。
残すことと変えること。
昔の暮らしと、これからの暮らし。

その間にある「あわい」を探しながら、一つひとつ決めていきます。

古民家の設計とは、過去を美しく見せることではありません。

積み重なった時間の重さを受け止め、その続きを静かに描くこと。

難しさを感じ、迷い続けること自体が、歴史と対話するということなのかもしれません。

藤原昌彦

遠くを見るための窓

藤原の日記

今日は、海の日。

海を眺めていると、時間を忘れてしまうことがある。

波の動きを追っているようで、実際には何かを見ているわけでもない。
ただ、水平線の向こうへ視線を預けている。

以前、父母ヶ浜を訪れた時もそうだった。

遠浅の浜辺に立ち、空を映した水面を眺めていると、気持ちが穏やかになり、心が洗われるような感覚があった。

日常では、手元を見る時間が多い。

図面を見る。
本を読む。
スマートフォンを見る。

気がつけば、視線はいつも近いところに集まっている。

だからこそ、ふと遠くを見た時に、身体も心も少し緩むのかもしれない。

住宅の窓も、光や風を取り入れるだけのものではないと思っている。

庭の木々を介して空へ視線が抜ける窓。
建物の間から、遠くの山が見える窓。
水面や田園の広がりを、静かに受け止める窓。

「天城台の家」では、高台の敷地から東に広がる溜池へと視線が抜けていく。
室内から庭へ、庭から水面へ、その先の風景へと、視線が幾つもの領域を越えていく。

大切なのは、ただ大きな窓をつくることではない。

窓の先に何があり、そこまでにどのような距離があるのか。
その距離を丁寧に整えることで、実際の広さを超えた奥行きが生まれる。

住まいの中に、遠くを見ることのできる場所がある。

それは、慌ただしい日常からほんの少し離れ、心を解放してくれる余白になるのだと思う。

藤原昌彦

夏を告げる音

藤原の日記

今朝、今年初めてセミの声を聞きました。

梅雨が明け、本格的な夏の始まりです。

カレンダーを見る前に、耳が季節の変化を教えてくれる。
そんな瞬間が私は好きです。

住まいは、こうした季節の移ろいを感じられる場所であってほしいと思っています。

朝、窓を開けると聞こえてくるセミの声。
庭の木々が風に揺れる音。
夕方になると少しだけ涼しくなる空気。

冷暖房の効いた快適な室内も大切ですが、それだけでは季節は感じられません。

窓を開けたくなること。
庭に目を向けたくなること。
ふと耳を澄ませたくなること。

そんな小さなきっかけが、暮らしを豊かにしてくれるのだと思います。

建築は、ただ暑さや寒さを防ぐための器ではありません。

四季の変化を受け止め、人の感覚を少しだけ豊かにしてくれる場所でもある。

今年最初のセミの声を聞きながら、そんなことを考えた朝でした。

藤原昌彦

家具も、建築の一部

藤原の日記

私は北欧家具が好きです。

アトリエにもいくつかありますが、中でもお気に入りはCH24、通称Yチェアです。

もちろん、それだけではありません。

ハンス・J・ウェグナーをはじめ、ボーエ・モーエンセン、フィン・ユール、アルネ・ヤコブセンなど、多くのデザイナーが、時代を超えて愛される家具を生み出してきました。

私が北欧家具に惹かれるのは、デザインの美しさだけではありません。

木という素材を知り尽くした使い方。
細部まで丁寧につくられた加工技術。
そして何より、何十年経っても古さを感じさせない普遍性があります。

使い込むほどに木肌に艶が生まれ、小さな傷さえも、その家具だけの表情になっていく。

そんな姿を見ていると、「良いものは、時間とともに育つ」のだと感じます。

住宅も同じではないでしょうか。

完成した瞬間が一番美しいのではなく、家族の時間が積み重なり、庭の木々が育ち、床や柱に暮らしの痕跡が刻まれていく。

そうして少しずつ、その家だけの表情が生まれていくのだと思います。

だから私は、家具を単なるインテリアとしてではなく、建築の一部として考えています。

窓辺に置かれた一脚の椅子が、その家で一番好きな居場所になることもあります。

流行は、いつか過ぎていきます。

でも、本当に良いものは、時代を超えて愛され続けます。

北欧家具は、そのことを静かに教えてくれます。

私もまた、何十年先も暮らしに寄り添い、愛着を育んでいけるような、普遍性のある住まいをつくっていきたいと思っています。

藤原昌彦