私は、建築を考えるときに「あわい」という言葉を大切にしています。
「あわい」と聞くと、縁側や軒下のような、内と外の中間にある場所を思い浮かべる方も多いかもしれません。
しかし、私が考える「あわい」は、中間領域そのものではありません。
中間領域は、建築によってつくられる具体的な場所です。一方で「あわい」とは、異なるものが出会い、互いに影響し合うことで生まれる関係のことだと思っています。
風土と暮らし。
自然と人間。
過去と現在。
光と影。
人と人。
そして、居場所と居場所。
それぞれは、はっきりと分けられるものではありません。一方がもう一方へと少しずつ滲み出し、重なりながら、絶えず関係を変えています。
庭の木々が室内に影を落とし、その揺らぎから季節や風を感じる。
古い柱に残された傷から、そこで営まれてきた暮らしを想像する。
家族の姿が見えなくても、音や気配から、その存在を感じる。
こうした異なるものが出会うところに、「あわい」は生まれます。
また、一つひとつの居場所も、それだけで成り立つものではありません。
食卓と窓辺、居間と庭、家族が集う場所と一人で過ごす場所。それぞれの居場所が緩やかにつながり、互いの気配や光景を受け渡すことで、暮らしに奥行きが生まれます。
「あわい」には、決まった形がありません。
縁側や軒下があれば生まれるものでもなく、図面に線を引けばつくれるものでもありません。
建築が風土や人の暮らしを受け止め、時間とともに関係が育まれていくことで、初めて立ち現れてくるものだと思います。
建築が完成したときに、すべてが決まっているのではない。
光や風、季節の移ろい、人の営み、そして積み重なる時間。それらを受け入れる余地を残しておくことで、建築と暮らしの間に新たな関係が育っていきます。
私は建築によって何かを強く主張するのではなく、異なるものが出会い、互いの存在を感じられる関係をつくりたい。
その目には見えないつながりが、暮らしを静かに豊かにしてくれるのだと思います。
藤原昌彦
古民家の設計は、難しい。
何十年、時には百年以上もの時間を受け継いできた建物に、自分の設計を重ねていく。
柱や梁に残る傷。
煤によって黒くなった木。
何度も開け閉めされてきた建具。
そこには、図面には描くことのできない、人の暮らしと時間が刻まれています。
新築であれば、何もないところから自分たちの考える空間をつくることができます。
しかし古民家では、すでにそこにある歴史と向き合わなければなりません。
何を残し、何を変えるのか。
どこまで手を入れ、どこから建物に委ねるのか。
古いものを残せば良いわけでもなく、すべてを新しくすれば良いわけでもありません。
残すことが、かえって過去を飾り物にしてしまうこともあります。
新しい意匠を加えることで、建物が長い時間をかけて得てきた静けさを壊してしまうこともあります。
だからこそ、古民家の前では慎重になります。
自分の設計が、この建物に積み重なった時間よりも前に出てはいないか。
新しく加えるものが、これまでの歴史を受け止められているか。
その判断に、明確な正解はありません。
歴史と現在。
残すことと変えること。
昔の暮らしと、これからの暮らし。
その間にある「あわい」を探しながら、一つひとつ決めていきます。
古民家の設計とは、過去を美しく見せることではありません。
積み重なった時間の重さを受け止め、その続きを静かに描くこと。
難しさを感じ、迷い続けること自体が、歴史と対話するということなのかもしれません。
藤原昌彦
こんにちは。
世羅の家では、壁と天井仕上げのフェザーフィール塗を行いました。
フェザーフィールは、大理石粉と天然由来の接着成分を主原料とした塗仕上げになります。
ローラーと刷毛で塗っていきますが
珪藻土塗仕上げのような凹凸感が出るよう工夫して塗っています。
Staff.K
今日は、海の日。
海を眺めていると、時間を忘れてしまうことがある。
波の動きを追っているようで、実際には何かを見ているわけでもない。
ただ、水平線の向こうへ視線を預けている。
以前、父母ヶ浜を訪れた時もそうだった。
遠浅の浜辺に立ち、空を映した水面を眺めていると、気持ちが穏やかになり、心が洗われるような感覚があった。
日常では、手元を見る時間が多い。
図面を見る。
本を読む。
スマートフォンを見る。
気がつけば、視線はいつも近いところに集まっている。
だからこそ、ふと遠くを見た時に、身体も心も少し緩むのかもしれない。
住宅の窓も、光や風を取り入れるだけのものではないと思っている。
庭の木々を介して空へ視線が抜ける窓。
建物の間から、遠くの山が見える窓。
水面や田園の広がりを、静かに受け止める窓。
「天城台の家」では、高台の敷地から東に広がる溜池へと視線が抜けていく。
室内から庭へ、庭から水面へ、その先の風景へと、視線が幾つもの領域を越えていく。
大切なのは、ただ大きな窓をつくることではない。
窓の先に何があり、そこまでにどのような距離があるのか。
その距離を丁寧に整えることで、実際の広さを超えた奥行きが生まれる。
住まいの中に、遠くを見ることのできる場所がある。
それは、慌ただしい日常からほんの少し離れ、心を解放してくれる余白になるのだと思う。
藤原昌彦
こんにちは。
いよいよ梅雨が明け、暑い夏がやってきましたね。
熱中症対策を対策をしっかり行い、世羅の家も完成に向け工事を行ってまいります!
さて、世羅の家では壁と天井の仕上げ工事に入りました。
仕上げはフェザーフィールと呼ばれる
大理石粉と天然由来の接着成分を主原料とした塗仕上げになります。
その専用の下地となるクロス貼を行いました。
クロスを平らに仕上げるために、パテ処理を行います。
プラスターボードの継ぎ目やビス頭の溝にパテ材を詰めることで平らに仕上げていきます。
この下地のクロスの上からフェザーフィールの塗り工事を行っていきます。
Staff.K
今朝、今年初めてセミの声を聞きました。
梅雨が明け、本格的な夏の始まりです。
カレンダーを見る前に、耳が季節の変化を教えてくれる。
そんな瞬間が私は好きです。
住まいは、こうした季節の移ろいを感じられる場所であってほしいと思っています。
朝、窓を開けると聞こえてくるセミの声。
庭の木々が風に揺れる音。
夕方になると少しだけ涼しくなる空気。
冷暖房の効いた快適な室内も大切ですが、それだけでは季節は感じられません。
窓を開けたくなること。
庭に目を向けたくなること。
ふと耳を澄ませたくなること。
そんな小さなきっかけが、暮らしを豊かにしてくれるのだと思います。
建築は、ただ暑さや寒さを防ぐための器ではありません。
四季の変化を受け止め、人の感覚を少しだけ豊かにしてくれる場所でもある。
今年最初のセミの声を聞きながら、そんなことを考えた朝でした。
藤原昌彦
こんにちは。
世羅の家では、大工工事が終わり、内装の仕上げ工事に入りました。
まずはタイル工事からです。
タイルを貼りつけ、タイルの色に合った目地材を施工していきます。
↑キッチンのシンク側カウンター部分
↑キッチンのコンロ部分
↑洗面カウンター部分
次は、壁と天井の仕上げ工事を行います。
Staff.K
私は北欧家具が好きです。
アトリエにもいくつかありますが、中でもお気に入りはCH24、通称Yチェアです。
もちろん、それだけではありません。
ハンス・J・ウェグナーをはじめ、ボーエ・モーエンセン、フィン・ユール、アルネ・ヤコブセンなど、多くのデザイナーが、時代を超えて愛される家具を生み出してきました。
私が北欧家具に惹かれるのは、デザインの美しさだけではありません。
木という素材を知り尽くした使い方。
細部まで丁寧につくられた加工技術。
そして何より、何十年経っても古さを感じさせない普遍性があります。
使い込むほどに木肌に艶が生まれ、小さな傷さえも、その家具だけの表情になっていく。
そんな姿を見ていると、「良いものは、時間とともに育つ」のだと感じます。
住宅も同じではないでしょうか。
完成した瞬間が一番美しいのではなく、家族の時間が積み重なり、庭の木々が育ち、床や柱に暮らしの痕跡が刻まれていく。
そうして少しずつ、その家だけの表情が生まれていくのだと思います。
だから私は、家具を単なるインテリアとしてではなく、建築の一部として考えています。
窓辺に置かれた一脚の椅子が、その家で一番好きな居場所になることもあります。
流行は、いつか過ぎていきます。
でも、本当に良いものは、時代を超えて愛され続けます。
北欧家具は、そのことを静かに教えてくれます。
私もまた、何十年先も暮らしに寄り添い、愛着を育んでいけるような、普遍性のある住まいをつくっていきたいと思っています。
藤原昌彦
こんにちは。
世羅の家では、壁や天井のプラスターボードを貼り進めています。
壁、天井のプラスターボードを貼ると部屋の雰囲気が変わってきます。
コンセントやスイッチ等の開口も同時に進めていきます。
リビング・ダイニングの天井には栂のパネルを貼りました。
窓から見える緑豊かな景色と合わさってより映えています。
大工工事は順調に進んでおり、終盤を迎えております。
大工工事後は仕上げ工事を進めていく予定です。
Staff.I
風に揺れる木々。
流れる雲。
雨粒。
鳥が飛ぶ姿。
人は本来、そうした動きに自然と目を向ける生き物なのだと思う。
昔の住まいでは、窓の向こうに庭があり、空があり、風景があった。
だから、ふとした瞬間に外へ視線が向かっていた。
その後、暮らしの中心にテレビが置かれるようになり、家族の視線は室内へ集まるようになった。
そして今、私たちの視線は、一人ひとりが手の中のスマートフォンへ向けている。
もちろん、それ自体が良い悪いという話ではない。
ただ、風に揺れる木々や、雲の流れを眺める時間は、以前より少なくなったように感じる。
だから私は、住宅にはもう一度、外へ視線が向かうきっかけをつくりたい。
庭の木が風に揺れる窓。
雨を眺められる軒先。
夕焼けに気づく小さな居場所。
そうした何気ない情景が、暮らしに静かな豊かさを取り戻してくれるのではないだろうか。
藤原昌彦