可動ルーバー取付
こんにちは。
世羅の家では、可動ルーバーの取付けを行いました。
玄関へつながる廊下とリビングとの間に可動ルーバーを付けています。


縦のルーバーで、手動で開け閉めができ
一枚ルーバーを回すと、すべてのルーバーが連動して同じ角度で回すことが出来ます。
ルーバーを閉じると木目を見れ、開くと隙間から気配を感じれられ
開け閉めが楽しめますね(^^)
Staff.K
こんにちは。
世羅の家では、可動ルーバーの取付けを行いました。
玄関へつながる廊下とリビングとの間に可動ルーバーを付けています。


縦のルーバーで、手動で開け閉めができ
一枚ルーバーを回すと、すべてのルーバーが連動して同じ角度で回すことが出来ます。
ルーバーを閉じると木目を見れ、開くと隙間から気配を感じれられ
開け閉めが楽しめますね(^^)
Staff.K
いつからか、夜が明ける前に目覚めるようになった。
私はこのうつろいゆく朝の時間が好きだ。
バウムとアーキの二人を連れて散歩に出かける。

まだ薄暗く、景色は夜の名残を残している。
けれど、少しずつ空が明るくなり始める。
鳥の声が聞こえ、
風が動き、
木々の輪郭が見え始める。
連れている二人は、そんなことにはお構いなしで、ちょこちょこと歩いている。
朝日は一瞬で昇るわけではない。
暗闇から明るさへ。
その間には、ゆっくりとした移ろいがある。
私は、その時間がとても心地良い。
完全な夜でもなく、
完全な朝でもない。
その境目の時間には、不思議な静けさがある。
建築を考えていると、
この朝の景色がふと頭をよぎることがある。
明るさだけではなく、
暗がりだけでもない。
そのあいだにある豊かさ。
私は、そんな時間を感じられる住まいに惹かれるのかもしれない。
藤原昌彦
みんなで集まって、にぎやかに過ごす時間は楽しい。
けれど、ときには一人になりたい時もある。
誰もいない場所に身を置くと、最初は気楽なのだが、しばらくすると不思議と寂しさを感じる。
一人にはなりたい。
けれど、人の気配は感じていたい。
気配を感じると、なぜだか安心する。
私は、住まいにとってこの「気配」がとても大切だと思っている。

気配とは、人と人との距離だけではない。
庭の木々が風に揺れること。
台所から聞こえる食器の音。
障子越しの光。
時間の移ろい。
そうしたものもまた、気配の一部である。
近づきすぎれば「存在」となり、遠ざかりすぎれば「気配」は消えてしまう。
人は、人そのものを求めているのではなく、気配を求めているのかもしれない。
完全につながりたいわけでもない。
完全に一人になりたいわけでもない。
気配を感じながら、自分の時間を過ごしたい。
住まいとは、その絶妙な距離を受け止める器なのだと思う。
家族とのあいだにある距離。
庭とのあいだにある距離。
外の風景とのあいだにある距離。
その「あわい」に気配が宿るとき、住まいはただの箱ではなく、心の居場所になるのではないだろうか。
藤原昌彦
住まいの中には、さまざまな居場所があります。
私は、木漏れ日の差し込む場所が好きです。
縁側のような場所も好きですし、庭を眺めながら過ごす時間も好きです。
ほのかに薄暗い場所にも、なぜか惹かれます。
考えてみると、私の好きな居場所はどれも「あわい」にあります。
完全な屋内でもなく、完全な屋外でもない。
明るすぎず、暗すぎもしない。
閉じてもいなければ、開きすぎてもいない。
そうした場所に身を置くと、不思議と心が落ち着き、豊かな気持ちになります。
人は、本来「あわい」の中で生きているのかもしれません。
朝と夜のあわい。
季節とうつろいのあわい。
人と人とのあわい。
自然と暮らしのあわい。
私たちの日常は、はっきりと分けられるものばかりではなく、その中間にある曖昧さの中で成り立っています。
だからこそ私は、建築の中にも「あわい」が必要だと思うのです。
私が設計する住宅は、内と外をきっちりと分けるのではなく、そのあいだにある居場所を大切にしています。
光がにじみ、風が抜け、庭の気配が感じられる場所。
そこは単なる通路でも、部屋でもありません。
人の感情や時間を静かに受け止めるための居場所です。
建築とは、風土と暮らしのあわいを整える行為なのかもしれません。
藤原昌彦
こんにちは。
今夜から明日にかけて台風6号が太平洋沿岸を通過する予報です。
沿岸近くにお住まいの方は安全第一で激しい雨や暴風にお備えください。
世羅の家では、外部の工事が進んでいます。

中庭側の外壁も焼杉貼を終え
大屋根の軒天も黒色に塗装を行いました。

あと少しで足場解体です!
Staff.K
私は均質な空間に、少し息苦しさを感じることがあります。
もちろん、明るく快適で、どこにいても同じ環境で過ごせることは悪いことではありません。
むしろ現代の建築が目指してきた大切な価値の一つだと思います。
けれど、なぜか長く居たいとは思えない。
なぜだろうか。
考えてみると、均質な空間には「揺らぎ」が少ないからではないかと思うのです。
あるいは、時間の流れが見えにくいからかもしれません。
人は無意識のうちに、変化するものに惹かれています。
風に揺れる木々。
ゆっくりと流れる雲。
木漏れ日。
移ろう光。
そこには常に小さな変化があり、静かに時間が流れています。

一方で、均質な空間は変化が少ない。
整っている。
快適である。
けれど、その状態がどこまでも続くことで、知らず知らずのうちに緊張感を生んでいるのかもしれません。
自然素材が心地よく感じられるのも、そのためでしょう。
木には一本ごとに異なる木目があり、色味にも個性があります。
左官壁も同じです。
均一に見えても、人の手によるわずかな揺らぎが残っています。
そうした不均一さは、空間に奥行きや表情を与え、私たちの感覚を静かに刺激してくれます。
開口部のあり方も同様です。
ただ大きな窓を設ければよいわけではありません。
その先に何があるのか。
風に揺れる樹々があるのか。
季節ごとに表情を変える庭があるのか。
空の移ろいを映し出す風景があるのか。
そうした変化を受け止める対象があってこそ、窓は時間を映す装置になります。
均質な空間が苦しいのは、快適性が足りないからではない。
そこに時間の流れや自然の気配、そして人の感覚を受け止める揺らぎが少ないからなのかもしれません。
私は建築の中に、そうした揺らぎを残しておきたいと思っています。
それは不便さをつくるためではなく、人が時間を感じながら豊かに暮らすために必要な余白なのだと思うのです。
藤原昌彦