なぜ私は「あわい」を必要だと思うのか

藤原の日記

住まいの中には、さまざまな居場所があります。

私は、木漏れ日の差し込む場所が好きです。
縁側のような場所も好きですし、庭を眺めながら過ごす時間も好きです。
ほのかに薄暗い場所にも、なぜか惹かれます。

考えてみると、私の好きな居場所はどれも「あわい」にあります。

完全な屋内でもなく、完全な屋外でもない。
明るすぎず、暗すぎもしない。
閉じてもいなければ、開きすぎてもいない。

そうした場所に身を置くと、不思議と心が落ち着き、豊かな気持ちになります。

人は、本来「あわい」の中で生きているのかもしれません。

朝と夜のあわい。
季節とうつろいのあわい。
人と人とのあわい。
自然と暮らしのあわい。

私たちの日常は、はっきりと分けられるものばかりではなく、その中間にある曖昧さの中で成り立っています。

だからこそ私は、建築の中にも「あわい」が必要だと思うのです。

私が設計する住宅は、内と外をきっちりと分けるのではなく、そのあいだにある居場所を大切にしています。

光がにじみ、風が抜け、庭の気配が感じられる場所。

そこは単なる通路でも、部屋でもありません。

人の感情や時間を静かに受け止めるための居場所です。

建築とは、風土と暮らしのあわいを整える行為なのかもしれません。

藤原昌彦