先日、ホームランディックさんに「天城台の家」を丁寧に取材いただいた動画が公開されました。
動画はこちらから 天城台の家
その動画では、語りきれなかったことを少し書いてみたいと思います。
取材の中で、特に伝えきれなかったのは「光」についてです。
言葉で説明するよりも、まずは映像に映る光を感じていただきたいと思い、あえて多くは語りませんでした。
本来、光というものは、その空間に身を置いてこそ感じられるものだと思っています。
それでも、映像を通して少しでも伝われば嬉しく思います。
この住宅で考えていた光は、包み込むような穏やかな光です。
朝は、身体を静かに目覚めさせるような爽やかな光。
日中は、居場所をやさしく包む落ち着いた光。
夕方には、陰影とともにゆっくりとうつろい、空間に静かな余韻を残していく光。
私の設計では、屋外空間のあり方は欠かすことのできない要素です。
「天城台の家」では、芝生が広がる風景の中に住まいが静かに佇む姿を思い描きながら、屋外と暮らしを一体として設計していきました。
この敷地は少し高台にあり、どこか草原の中にいるような伸びやかさがあります。
東側には、ため池の風景が穏やかに広がり、朝のやわらかな光が室内へと届いてきます。
その風景に向かって、半戸外のベンチスペースを設けました。
外でも内でもない、その曖昧な場所に身を置きながら、風や光、季節の気配を静かに感じる。
ふと力を抜き、ほっと一息つける居場所です。
建築とは、光を単に取り入れることではなく、
「光と暮らしの距離を整えること」なのかもしれません。
もしよければご覧ください。 「天城台の家」YouTube
藤原昌彦
私には、長く大切に使っているものが多くあります。
スケッチをするときの鉛筆や修正用のペン。
いつも座っている椅子。アトリエに飾っている絵。
高価なものもあれば、決して高価ではないものもあります。
けれど、愛着のあるものには共通して、「手の痕跡」が残っているように思います。
長く使い続けた時間や、苦労した記憶、迷いながら向き合った過程。
そういったものが積み重なることで、単なる“物”ではなく、自分にとって特別な存在になっていくのではないでしょうか。
住宅設計も同じだと感じています。
おかげさまで、これまで多くの住宅を設計させていただきましたが、簡単にできた住宅は一つもありません。
プランに悩み、素材に悩み、光の取り入れ方に悩む。
そして何より、多くの場合はコスト面で悩みます。
時には、それらが複雑に絡み合い、「産みの苦しみ」のような時間になることもあります。
しかし、その苦しみをクライアントと共有し、乗り越えながら完成に辿り着いた時の喜びは、何にも代え難いものがあります。
以前は、設計や金額に関する悩みを、できるだけクライアントに見せないようにしていました。
けれど、コロナ以降の社会情勢や建築費の変動を考えると、金額についてはできるだけオープンに共有しながら進める必要があると感じています。
設計の初期段階では、全体予算を踏まえながら計画を進めます。
ただ、設計が深まるにつれ、「より良い空間にしたい」「もう少し豊かな暮らしを提案したい」という思いが強くなり、結果として当初予算を超える提案になることも少なくありません。
例えば、最初に想定していた予算が100%だとすると、初回見積りでは150%ほどの内容になっていることもあります。
そこから、予算に近づけるために減額提案を行っていきます。
減額と言っても、単純に安いものへ置き換えるだけではありません。
造り方を整理したり、優先順位を見直したりしながら、本当に大切なものを残していく作業です。
その際、多くの方が不安になるのが、「減額したことで、バウムスタイルアーキテクトらしい住宅ではなくなるのではないか」ということです。
ですが、私が大切にしているのは、空間の骨格や光の質といった、本質的な部分です。
多少素材が変わったとしても、設計に込めた思想や、空間の質そのものが失われることはありません。
むしろ、悩みながら取捨選択を重ね、目指す暮らしを共有しながら完成した住宅には、深い愛着が宿るのではないかと思っています。
そして、完成後も少しの不便さを工夫しながら暮らしていく。
その積み重ねによって、さらにその住まいは、自分たちだけの場所になっていくのだと思います。
少し予算を超えていたとしても、手の届く範囲であれば、ほんの少し背伸びをしてでも手に入れてほしい。
そんな思いもあります。
少し高価な服を買った時、自然と背筋が伸びる感覚があります。
大切に着ようと思う気持ちも生まれます。
住宅も同じです。
単に「予算に合わせる」のではなく、少し背伸びをしてでも、本当に良いと思える空間を手に入れることで、暮らしそのものが少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
もちろん、様々な工夫の結果として予算内に納まることは、とても良いことです。
けれど、その過程で悩み、考え、選び取った時間こそが、住まいへの愛着を育てていくのだと思います。
藤原昌彦
日々の中で、「気持ちの良い人だな」と感じる方がいます。
そうした方に共通しているのは、特別な何かではなく、ごく当たり前の所作の美しさです。
挨拶が自然で、言葉に無理がない。
身だしなみも、華やかさではなく、きちんと整えられている。
高価なものを身につけているかどうかではなく、清潔であること、整っていること。
そこに、その人の在り方がにじみ出ているように感じます。
空間も同じではないでしょうか。
良い家具や素材は、確かに空間の質を高めます。
しかしそれ以上に、整えられていること、秩序が保たれていることが、空間の印象を決定づけます。
物が過不足なく置かれ、掃除が行き届いている。
使われたものが、元の場所に静かに戻されている。
そうした状態は、派手さはなくとも、確かな心地よさを持っています。
それは設計以前の、暮らしの姿勢の問題でもあります。
私自身、特別なことをしているわけではありませんが、
朝起きたときにベッドを軽く整え、パジャマを畳み、靴を揃える。
そうした小さな行為を、日々の中で繰り返しています。
ほんの些細なことですが、その積み重ねによって、空間の状態は確実に変わっていきます。
整えられた状態から一日を始めることで、気持ちも自然と整っていくのを感じます。
整えるという行為は、暮らしを丁寧に扱うことに他なりません。
そしてその丁寧さが、やがて空間にあらわれ、空気の質を変えていきます。
美しい空間は、特別な操作によって生まれるものではなく、
日々の小さな積み重ねの中で育まれていくものだと思います。
気持ちの良い人がいるところには、気持ちの良い空間があり、
気持ちの良い空間は、また人の在り方を整えていく。
その静かな循環を、大切にしていきたいと感じています。
藤原昌彦
桜が満開となり、すっかり暖かく、心地よい季節になりました。
先日、埼玉で設計を行っている友人の完成したばかりの住宅を見学するため、関東を訪れました。
世代も近く、同じ建築を志す者として、仲間であり、同時にライバルでもある友人の設計した住宅を見ることは、いつも多くの学びがあります。
その流れで、ライフワークでもある建築散歩へ。
今回は、岡山県庁舎や天神山プラザ、林原美術館を設計した前川國男の最初の自邸と、梅田スカイビルや京都駅で知られる原広司が手がけた egg cafe / egg park を見学することができました。
前川國男邸は1942年に建てられた住宅で、80年以上前の建築です。
しかし内部空間は非常に先進的で、今なお新鮮な刺激を受ける空間でした。
一方、原広司さんの建築は、これまで大きな建築を体験してきたこともあり、私自身にとっては少し意外なほど、驚きと感動のある建築体験となりました。
どちらの建築にも共通して感じたのは、「普遍性」です。
時間が経過しても空間の新鮮さが失われず、人の心を揺さぶる力を持ち続けている建築でした。
流行や新しさではなく、空間の質そのものが時間に耐えている。
そういう建築に触れるたびに、建築にとって本当に大切なものは何かを考えさせられます。
自分の目指す建築の在り方を、あらためて体験することができました。
これからも目を養い、建築に向き合い続けていきたいと思います。
藤原昌彦
だんだんと春めいた季節になってきました。
散歩をしていると、少しずつ草花に色がつき始め、景色が華やかになってきているのを感じます。
時折、寒さを感じる日もありますが、心地よい季節になってきました。
私は仕事柄、パソコンやスマートフォンに触れている時間が長い方だと思います。
図面を描いたり、情報発信をしたり、情報収集をしたりと、日々デジタル機器に触れて生活しています。
そんな日常の中で、朝起きてから約1時間は、デジタル機器に触れないように心がけています。
以前は、起きてすぐにメールチェックやSNSの確認をしていましたが、それをやめました。
瞑想というとかっこいいかもしれませんが、何もせず、無心になる時間をつくるようにしています。
そうすることで、一日のやるべきことや考えが整理され、良い状態で一日を始めることができているように感じています。
豊かな時間を過ごすために、あえて何もしない時間をつくる。
情報はスマートフォンから得るもの、と思っている方も多いかもしれませんが、ぜひ一度試してみてください。
設計も同じで、余白や何もしない時間のようなものが、空間の豊かさをつくるのだと思います。
藤原昌彦
こんにちは。
気温も上がり、春めいた気候となってきましたね。
桜の蕾も膨らみ、いつ咲こうかと待ちわびているようです。
三連休は、打ち合わせが続き、忙しく過ごさせていただきました。
古民家リノベーションのご相談から始まり、県外での新築住宅の新規面談や打ち合わせ、リノベーションのご提案、設計が終わり見積中の計画のご説明など、このご時世に本当にありがたいことだと感じています。
その中で、新築のご相談を受ける際、いろいろとお話を伺いながら、「求められているものは何か」を探しながらお話を聞いています。
大きく分けると、二つに分かれるように感じています。
一つ目は、私がどのような考えで設計に取り組んでいるのか、その考えに沿った「居場所の集合体」としての住まいを求められる方。
二つ目は、構造や性能(温熱環境)、間取りを重視される方です。
一つ目の方は、家づくりそのものを前向きに楽しまれているように感じます。
二つ目の方は、失敗してはいけないという思いから、常に慎重に判断されているように感じます。
確かに、住宅を建てるということは大きなお金がかかることで、失敗できないと考え、慎重になるのは当然のことだと思います。
では、その「失敗」とは、いったい何を指すのでしょうか。
性能が十分でなかった、施工不良があった、ということは、確かに失敗と言えるかもしれません。
しかし現在は、耐震等級3や断熱性能の等級など、一定の性能はどこでも確保されており、金額の差はあっても、性能だけを見れば大きな差は少なくなってきているように感じます。
では、何を基準に判断していけばよいのでしょうか。
私が大切だと思う判断基準は、「人」ではないかと思います。
住まいを一緒につくるパートナーとして、誰と家づくりをするのか。
そのことが、住まいづくりにおいて、とても大切なことなのではないでしょうか。
藤原昌彦
久しぶりに、ブログを書いています。
昨年の年始には「今年はブログを頑張って書いていきます」と綴っていたのですが、正直なところ、この一年はいろいろなことが重なり、前向きに文章を書く気持ちになれませんでした。
最近はSNSが主流となり、こうした読み物としてのブログは敬遠される傾向もあるようです。
私自身もSNSを利用していますし、気軽に更新できること、気軽に見られることの良さはよく分かります。
そんな中で、最近また読書を楽しむ時間が増えました。
きっかけはあるのですが、その話はまた別の機会に。
ここ数年は、本を読むのに時間がかかるようになり、集中力も続かず、読み進めても内容が頭に入らず、何度も読み返すことがありました。
ところが、ある出来事をきっかけに、不思議と再び集中して読めるようになりました。
最近読んでいるのは、小川糸さんの小説です。
「食堂かたつむり」
「ライオンのおやつ」
「ツバキ文房具店」
など、ご存じの方も多いと思います。
なかでも「食堂かたつむり」「ライオンのおやつ」「小鳥とリムジン」は、“生きること”を静かに問いかけてくる作品で、ぜひ多くの方に読んでいただきたい本です。
ただ、今日は本の紹介をしたいわけではありません。
私が書き残しておきたいのは、「読書をする時間」そのものの大切さについてです。
デジタルの普及によって、私たちはSNSやYouTubeを通して、瞬時に多くの情報を得られる時代に生きています。
さらにAIの進化により、自分の趣味嗜好に合った情報が、簡単に手に入るようになりました。
私もその恩恵を受けている一人ですし、この技術の進歩は本当に素晴らしいことだと思います。
しかし、何かを創造する仕事に携わる者としては、
その便利さの裏側にある影響についても、少し考える必要があるのではないかと思っています。
私は日頃から、
「人の心が和む住宅とは何か」
「人が生きる建築とは何か」
ということを考えています。
そのためには、速い情報だけに囲まれるのではなく、
少し立ち止まり、ゆっくりと思考を巡らせる時間が必要なのではないかと思うのです。
言い換えれば、
創造を育てる時間です。
本を読むとき、人は多くの想像をします。
この物語の舞台はどんな風景なのだろうか。
主人公はどんな表情をしているのだろうか。
登場人物はどんな人生を歩んできたのだろうか。
そして、作者はどんな想いを込めてこの物語を書いたのだろうか。
活字を追いながら、頭の中に風景を思い描き、人物の姿を想像する。
その時間は、静かですがとても豊かな時間です。
一日のうち、ほんの10分でもかまいません。
スマートフォンを少し置いて、本を開いてみてはいかがでしょうか。
暮らしの中に、静かな豊かさが生まれるのではないかと思います。
藤原昌彦
本日で、今年の仕事納めとなりました。
一年を振り返ると、多くのご縁と対話に支えられた、実りの多い年だったと感じています。
設計の仕事では、敷地に立ち、光や風、周辺環境を読み取りながら、そのご家族にとってどんな暮らしがふさわしいのかを考え続けてきました。
一つとして同じ条件の住まいはなく、毎回が新しい問いであり、学びの連続です。
また今年は、**「風土と暮らし、土着する設計施工」**というテーマで講演を行う機会にも恵まれました。
(・2025.09.19 釿始 ・2025.09.27 MOKスクール 計2回)
家づくりは、デザインや性能だけで完結するものではなく、
その土地の空気感や素材、つくり手の姿勢、そして住まい手の暮らし方が重なり合って、はじめて本当の意味での「住まい」になる。
講演では、日々の設計の中で大切にしている、そうした考え方を言葉にしてお伝えしました。
あらためて感じたのは、設計とは「形をつくること」以上に、「暮らしの土台を整える仕事」だということです。
派手さや流行に流されるのではなく、
時間が経つほどに味わいを増し、暮らしに静かに寄り添い続ける住まいをつくりたい。
それが、建築家として変わらず大切にしていきたい姿勢です。
家づくりを託してくださったクライアントの皆さま。
現場で誠実に向き合ってくださった工務店・職人の皆さま。
そして、講演の場を設けてくださった関係者の皆さまに、心より感謝申し上げます。
住まいは完成した瞬間がゴールではなく、そこから暮らしが育っていく場所です。
その大切な「はじまり」に関われることを誇りに、来年も一つひとつの住まいに丁寧に向き合っていきたいと思います。
一年間、本当にありがとうございました。
どうぞ穏やかな年末年始をお過ごし下さい。
藤原昌彦
― これからの家づくりと、変わらない軸 ―
2026年度から始まる
みらいエコ住宅支援事業の詳細が、国から発表されました。
高断熱・高省エネの住宅を後押しし、
これからの時代にふさわしい住まいを増やしていく。
この制度が目指している方向は、とても明快です。
性能という言葉の先にあるもの
制度では、
GX志向型住宅、長期優良住宅、ZEH水準住宅など、
住宅の「性能」が数値で示されます。
けれど、私が大切にしたいのは、
その数値の先にある、日々の感覚です。
冬の朝の空気。
夏の夕方の涼しさ。
エアコンに頼りきらなくても、自然に心地よいこと。
エコ住宅とは、
暮らしを我慢する家ではなく、
暮らしが静かに整っていく家だと思っています。
補助金は、目的ではなく結果
補助金は、ありがたい仕組みです。
けれど、それを前提に家づくりを考える必要はありません。
制度は変わりますが、
住まいは、この先何十年も使われ続けます。
土地の風土や、家族の暮らし方を丁寧に考えた結果、
性能が整い、制度にも自然と重なっていく。
その順番こそが、無理のない家づくりだと感じています。
みらいエコ住宅支援事業2026は、
良い住まいを真面目に考えている人の背中を、
そっと押してくれる制度です。
数字や条件に振り回されることなく、
この土地で、どんな時間を重ねたいのか。
そんな問いから、家づくりを始めていきたいと思います。
大変久しぶりの更新となってしまいました。
年始から更新をと思いつつ、なかなか更新が出来ず気がつけば10月になっていました。
9月は、二つの講演の機会をいただいた。
ひとつは、造園家の荻野寿也さんとご一緒した「釿始(ちょうなはじめ)」での講演。
もうひとつは、MOKスクールでの登壇「風土と暮らし、土着する設計施工」である。
どちらの場も、私にとって“建築とは何か”を改めて見つめ直す時間となった。
荻野さんとの対話では、建築と庭、人工と自然の“あいだ”について語り合った。
建築は地に立ち、庭はその風景を受け継ぐ。
異なる分野でありながら、目指すものは同じ——風土に寄り添い、人の暮らしを支える空間をつくること。
懇親会では多くの方と意見を交わし、建築や造園の垣根を越えて学び合える場の尊さを感じた。
MOKスクールでの講演
MOKスクールでは、「そこにある普通の美しさを目指して」という題でお話しした。
建築は、出来上がった瞬間のためのものではなく、長い時間を内包し、風景に静かに溶け込むものだと考えている。
今回の二つの講演を通じて、建築が人や土地、風景をつなぐ媒介であることを改めて実感した。
小さな建築が風景をつくり、やがて人の記憶となっていく。
その“普通の美しさ”を、これからも探し続けたい。
二つの講演は、私にとって非常に良い経験となりました。
緊張のあまり、うまく伝えられなかった部分も多々あるものの、聞いてくださった方々の温かい会場作りで楽しいひと時でした。
また、機会があれば皆さんの前で話すことができればと思います。