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なぜ私は「あわい」を必要だと思うのか

藤原の日記

住まいの中には、さまざまな居場所があります。

私は、木漏れ日の差し込む場所が好きです。
縁側のような場所も好きですし、庭を眺めながら過ごす時間も好きです。
ほのかに薄暗い場所にも、なぜか惹かれます。

考えてみると、私の好きな居場所はどれも「あわい」にあります。

完全な屋内でもなく、完全な屋外でもない。
明るすぎず、暗すぎもしない。
閉じてもいなければ、開きすぎてもいない。

そうした場所に身を置くと、不思議と心が落ち着き、豊かな気持ちになります。

人は、本来「あわい」の中で生きているのかもしれません。

朝と夜のあわい。
季節とうつろいのあわい。
人と人とのあわい。
自然と暮らしのあわい。

私たちの日常は、はっきりと分けられるものばかりではなく、その中間にある曖昧さの中で成り立っています。

だからこそ私は、建築の中にも「あわい」が必要だと思うのです。

私が設計する住宅は、内と外をきっちりと分けるのではなく、そのあいだにある居場所を大切にしています。

光がにじみ、風が抜け、庭の気配が感じられる場所。

そこは単なる通路でも、部屋でもありません。

人の感情や時間を静かに受け止めるための居場所です。

建築とは、風土と暮らしのあわいを整える行為なのかもしれません。

藤原昌彦

足場解体前

こんにちは。

今夜から明日にかけて台風6号が太平洋沿岸を通過する予報です。

沿岸近くにお住まいの方は安全第一で激しい雨や暴風にお備えください。

世羅の家では、外部の工事が進んでいます。

中庭側の外壁も焼杉貼を終え

大屋根の軒天も黒色に塗装を行いました。

あと少しで足場解体です!

Staff.K

「なぜ均質空間が苦しいのか」

藤原の日記

私は均質な空間に、少し息苦しさを感じることがあります。

もちろん、明るく快適で、どこにいても同じ環境で過ごせることは悪いことではありません。
むしろ現代の建築が目指してきた大切な価値の一つだと思います。

けれど、なぜか長く居たいとは思えない。

なぜだろうか。

考えてみると、均質な空間には「揺らぎ」が少ないからではないかと思うのです。

あるいは、時間の流れが見えにくいからかもしれません。

人は無意識のうちに、変化するものに惹かれています。

風に揺れる木々。
ゆっくりと流れる雲。
木漏れ日。
移ろう光。

そこには常に小さな変化があり、静かに時間が流れています。


一方で、均質な空間は変化が少ない。

整っている。
快適である。
けれど、その状態がどこまでも続くことで、知らず知らずのうちに緊張感を生んでいるのかもしれません。
自然素材が心地よく感じられるのも、そのためでしょう。
木には一本ごとに異なる木目があり、色味にも個性があります。
左官壁も同じです。
均一に見えても、人の手によるわずかな揺らぎが残っています。
そうした不均一さは、空間に奥行きや表情を与え、私たちの感覚を静かに刺激してくれます。
開口部のあり方も同様です。
ただ大きな窓を設ければよいわけではありません。
その先に何があるのか。
風に揺れる樹々があるのか。
季節ごとに表情を変える庭があるのか。
空の移ろいを映し出す風景があるのか。
そうした変化を受け止める対象があってこそ、窓は時間を映す装置になります。
均質な空間が苦しいのは、快適性が足りないからではない。
そこに時間の流れや自然の気配、そして人の感覚を受け止める揺らぎが少ないからなのかもしれません。
私は建築の中に、そうした揺らぎを残しておきたいと思っています。
それは不便さをつくるためではなく、人が時間を感じながら豊かに暮らすために必要な余白なのだと思うのです。
藤原昌彦

余白はなぜ必要か?

藤原の日記

余白について考えることがある。

暮らしの余白。

時間の余白。

空間の余白。

光の余白。

私たちは日々、様々な余白の中で暮らしている。

一方で、余白には「無駄」という意味も含まれている。

必要以上の空間。

使われない時間。

効率だけを考えれば、省いてしまってもよいものかもしれない。

もちろん、無駄をなくし、効率よく物事を進めることは決して悪いことではない。

しかし、人が暮らし、生きていく上では、その「無駄」と思われる部分こそが大切なのではないかと思う。

例えば、縁側やデッキに座って庭を眺める時間。

木漏れ日を眺めながらぼんやり過ごす時間。

目的もなく窓の外を見つめる時間。

それらは効率だけで考えれば無駄な時間かもしれない。

けれど、その時間があるからこそ気持ちが整い、心にゆとりが生まれる。

余白とは、無駄ではなく、余裕やゆとり、そして豊かさなのだと思う。

効率や合理性が求められる時代だからこそ、人が人らしくあるために、余白は必要なのではないだろうか。

藤原昌彦

木漏れ日の良さ

藤原の日記

樹々の葉が生い茂る季節になると、なぜか木の下に座りたくなる。

屋根のように完全に覆われているわけではない。けれど、不思議と落ち着く場所である。

葉と葉のあいだから差し込む光は、地面や壁に模様を描く。

風が吹けば葉が揺れ、その隙間から漏れる光もまた形を変える。

同じ場所にいても、同じ景色はひとつとしてない。

そこには時間があり、風があり、季節がある。

私は、木漏れ日の魅力はこの「うつろい」にあるのではないかと思っている。

均一な光ではなく、刻々と表情を変える光。

木漏れ日は、ただ空間を明るくするためのものではなく、光そのものが風景の一部として存在している。

そしてもう一つ、木漏れ日には安心感がある。

樹々の葉がつくる屋根の下で守られながら、外の空気や風を感じることができる。

そこには、開放感と安心感が共存している。

だからこそ人は、木陰に身を置きたくなるのかもしれない。

木漏れ日は、私たちに時間の流れや自然のうつろいを感じさせながら、人の感覚を静かに整えてくれるのである。

藤原昌彦

半戸外に居たくなる

藤原の日記

幼少期、実家の縁側は、自分にとって心地の良い居場所でした。

遊ぶ時も、勉強をする時も、昼寝をする時も、気がつくと縁側で過ごしていた記憶があります。

暑い日は窓を開け放ち、風や光、庭の気配を感じながら過ごしていました。

最近では、キャンプを楽しむ機会も増えました。

完全に屋外へ身を置き、自然の中で過ごす開放感は、とても気持ちの良いものです。

その一方で、完全に屋外であるがゆえに、どこか守られていない不安感も感じます。

キャンプのように一時的に過ごすには心地良いのですが、日常の暮らしとなると、やはり安心感のある居場所が必要なのだと思います。

だからこそ、縁側や軒下のような「半戸外」の存在が大切なのではないかと感じています。

完全に外でもなく、完全に内でもない場所。

守られている安心感がありながら、風や光、気配が静かに通り抜けていく。

私は、こうした“あわい”のある居場所に、人は本能的な心地よさを感じているのではないかと思っています。

幼少期、実家の縁側が自分の居場所であり、心地の良い居場所でした。

遊ぶにも、勉強するにも、昼寝をするにもこの心地良い居場所で過ごしていた。

暑ければ窓を開け放ち、屋外を感じながら楽しんでいました。

最近では、キャンプを楽しみで、完全に屋外に身を置き全開放する楽しさがある反面、完全に屋外のため守られない不安感が強くなります。キャンプのような一時的な場合は良いのですが、暮らすとなると一定の安心感が必要になってきます。

暮らしの「場」に縁側や軒下空間があることは、完全に外ではなく、完全に内でもない場所が大切なのではないかと思っています。

守られている安心感がありながら、光や風、気配が静かに通り抜けていく。

私は、こうした”あわい”のあるような居場所が、人が本能的な心地よさを感じているのではないかと思っている。

藤原昌彦

暗がりの良さ

藤原の日記

なぜか、心惹かれる空間がある。

特別な仕掛けがあるわけでもなく、
強いデザインがあるわけでもない。

ほのかに暗く、
光が届きそうで届かない場所。

そのような空間に身を委ねると、
不思議と心が落ち着いていく。

光と闇の「あわい」に、
静かな居場所が生まれる。

光のグラデーションが生まれ、
うつろいの中に、やわらかな暗がりがつくられる。

すべてが見えないことで、
意識は外側ではなく、内側へ向かう。

だからこそ人は、
暗がりの中に安心感や奥行きを感じるのかもしれない。

藤原昌彦

動画では語れきれなかったこと

藤原の日記

先日、ホームランディックさんに「天城台の家」を丁寧に取材いただいた動画が公開されました。

動画はこちらから  天城台の家

その動画では、語りきれなかったことを少し書いてみたいと思います。

取材の中で、特に伝えきれなかったのは「光」についてです。

言葉で説明するよりも、まずは映像に映る光を感じていただきたいと思い、あえて多くは語りませんでした。

本来、光というものは、その空間に身を置いてこそ感じられるものだと思っています。
それでも、映像を通して少しでも伝われば嬉しく思います。

この住宅で考えていた光は、包み込むような穏やかな光です。

朝は、身体を静かに目覚めさせるような爽やかな光。
日中は、居場所をやさしく包む落ち着いた光。
夕方には、陰影とともにゆっくりとうつろい、空間に静かな余韻を残していく光。

私の設計では、屋外空間のあり方は欠かすことのできない要素です。

「天城台の家」では、芝生が広がる風景の中に住まいが静かに佇む姿を思い描きながら、屋外と暮らしを一体として設計していきました。

この敷地は少し高台にあり、どこか草原の中にいるような伸びやかさがあります。

東側には、ため池の風景が穏やかに広がり、朝のやわらかな光が室内へと届いてきます。

その風景に向かって、半戸外のベンチスペースを設けました。

外でも内でもない、その曖昧な場所に身を置きながら、風や光、季節の気配を静かに感じる。
ふと力を抜き、ほっと一息つける居場所です。

建築とは、光を単に取り入れることではなく、
「光と暮らしの距離を整えること」なのかもしれません。

もしよければご覧ください。 「天城台の家」YouTube

藤原昌彦

壁ボード貼・キッチン造作

こんにちは。

世羅の家では、内部工事を進めております。

寝室から順に壁のプラスターボード貼りに入りました。

ボードを1枚1枚、窓等の貼る箇所の形に合わせて加工し貼っていきます。

壁の仕上げは、撫川の家Ⅱと同様でフェザーフィール仕上げになります。

このボードの上にKOBUという紙クロスを貼り、その上にフェザーフィールを塗り仕上げていきます。

さらにキッチン周りの造作工事を進めています。

写真はキッチンカウンターの対面(ダイニング側)の収納カウンターで     

バウムスタイルアーキテクトではよくこの収納カウンターを造作しています。

完成をお楽しみにしておいてくださいね。

Staff.K

軒天材・外壁材 貼り

こんにちは。

ついに岡山や広島でも夏日を記録し、暑い夏がやってきました。

ですが早朝や夜はまだ涼しくて助かりますね。

私は夜の家では窓を開けて過ごしております。風が心地いいです(^^)

さて、世羅の家では外部工事が進んでおります。

大屋根の軒天に杉板を貼っていきました。

この後、杉板は外壁の焼杉の色と合わせて黒色に塗装していきます。

さらに、外壁の焼杉板を貼り進めております。

窓の形等に合わせながら1枚1枚順に貼っていきます。

天気次第ですが6月初め頃に焼杉貼を終え、足場を解体する予定です。

足場がとれ、建物全体がはっきり見えるようになるのが楽しみです!

Staff.K