十月も半ばを過ぎると、朝の光が少しずつ低くなっていきます。
犬たちと朝の散歩に出ると、足もとに伸びる影が、夏よりもずいぶん長くなっている。
暑い暑いと言っているうちに、光のほうが先に秋になっている。
毎年、そんな気がします。
住まいの中でも、同じことが起こります。
夏のあいだ軒の先で止まっていた光が、秋になると畳の上を渡り、部屋の奥まで届くようになる。
その光を、障子が受け止めます。
午後、障子の紙がほのかに明るみ、そこに庭の木の影が映る。
風が吹けばかすかに揺れ、雲がかかれば、すっと薄れていく。
外の景色は、直接には見えていません。
それでも、風が吹いていることや、日が傾きはじめていることが、紙一枚を通して伝わってきます。
見えないのに、わかる。
うまく言葉にできないのですが、私はこの感じがとても好きです。
紙一枚ぶんの距離があることで、外の出来事は、少しやわらかく、少し遠くなって室内に届く。
そのわずかな隔たりが、かえって季節の移ろいを深く感じさせてくれるのだと思います。

私は、建築を学校で学んだわけではありません。
建設会社や工務店で働きながら、独学で設計を覚えてきました。
その分、建築を訪ね歩き、その場に身を置いて、光や素材を確かめながら学んできたように思います。
寺や古い民家の薄暗い室内に、障子越しのやわらかな光が満ちている。
その静けさの前で、私はいつも足を止めてしまいます。
明るければいい、というものではない。暗がりがあるから、光がきれいに見えるのです。
私が設計で大切にしているのは、その土地にもともと流れていた時間を引き継ぐことです。
障子越しの光もまた、この国の住まいが長い時間をかけて受け継いできたもののひとつだと感じています。
少し格好をつけた言い方になりますが、
住まいの設計は、空間の寸法だけでなく、時間の寸法を決めることでもあると思っています。
この軒の深さで、夏の日差しはどこで止まるのか。
この窓の高さで、十一月の午後の光はどこまで入るのか。
図面を前に、何度も何度も考えます。
正直なところ、思った通りの光が入るかどうかは、建ってみるまで分からないところもあります。
だからこそ、完成した家で、光が部屋の奥まで届いているのを見ると、ほっとするのです。
すべてを見せるのではなく、少しだけ隔てる。
そうすることで、外の時間が、静かに室内へ映り込んでくる。
秋の午後、障子に映る影が、ゆっくりと長くなっていく。
そんな何気ない移ろいに気づける距離を、これからも住まいの中に残していきたいと思います。
藤原昌彦