幼少期、実家の縁側は、自分にとって心地の良い居場所でした。
遊ぶ時も、勉強をする時も、昼寝をする時も、気がつくと縁側で過ごしていた記憶があります。
暑い日は窓を開け放ち、風や光、庭の気配を感じながら過ごしていました。

最近では、キャンプを楽しむ機会も増えました。
完全に屋外へ身を置き、自然の中で過ごす開放感は、とても気持ちの良いものです。
その一方で、完全に屋外であるがゆえに、どこか守られていない不安感も感じます。
キャンプのように一時的に過ごすには心地良いのですが、日常の暮らしとなると、やはり安心感のある居場所が必要なのだと思います。
だからこそ、縁側や軒下のような「半戸外」の存在が大切なのではないかと感じています。
完全に外でもなく、完全に内でもない場所。

守られている安心感がありながら、風や光、気配が静かに通り抜けていく。
私は、こうした“あわい”のある居場所に、人は本能的な心地よさを感じているのではないかと思っています。
幼少期、実家の縁側が自分の居場所であり、心地の良い居場所でした。
遊ぶにも、勉強するにも、昼寝をするにもこの心地良い居場所で過ごしていた。
暑ければ窓を開け放ち、屋外を感じながら楽しんでいました。
最近では、キャンプを楽しみで、完全に屋外に身を置き全開放する楽しさがある反面、完全に屋外のため守られない不安感が強くなります。キャンプのような一時的な場合は良いのですが、暮らすとなると一定の安心感が必要になってきます。
暮らしの「場」に縁側や軒下空間があることは、完全に外ではなく、完全に内でもない場所が大切なのではないかと思っています。
守られている安心感がありながら、光や風、気配が静かに通り抜けていく。
私は、こうした”あわい”のあるような居場所が、人が本能的な心地よさを感じているのではないかと思っている。
藤原昌彦